入社7カ月目の企画営業部のWです。
ツイッター・フェイスブック、ブログ等、SNS利用して発信体験が無い昭和生まれの男であり、当然のように「何を書こうかな?」と悩みました。
営業職では「年度初めの春の巡業」(他には年末・年始巡業)があり、各自治体に表敬訪問しますが、今年度春の巡業に触れた話題にします。

画像は先日の巡業中に只見町役場を訪問の際に撮影したJR只見駅です。
田舎町の無人駅ですがテッチャンらには憧れの駅かもしれません。
JR只見線は豪雨災害の影響で一時不通になりましたが、令和4年10月1日に全線開通した路線であります。
国内JR路線の中でも観光路線として有名路線で乗客の方々は国内外観光客で満員になる路線です。
只見線沿いの国道252号線は走行中に只見線を走る車両を見ますが、いつも満員状態、インバウンド効果絶大路線でもあります。
中学生時代、奥只見湖(銀山湖)へ釣り旅行する際に本路線を一度だけ利用したことありますが、絶景な眺望は見事で今でも鮮明に記憶されており、山間部と只見川沿線を走行する景観は絶景、見事そのものです。
過去の業務上で東北管内の様々なローカル路線を利用しましたが、景観的には一、二位を争う路線であることを個人的には思います。
話題は変わりまして当町の歴史的話題を。
生後18年間を会津若松市内で育った背景より、松平容保公京都守護職・新選組・西郷頼母家の家族全員自害悲劇・中野竹子奮戦・白虎隊飯盛山自刃等の「会津戊辰戦争史」はそれなりに教育されておりましたが、只見駅駅舎にあったパンフレットを手に取りましたら、只見町が会津戊辰戦争で激戦地だったことを勉強不足痛感。
今から150年前、新潟の長岡城が落城すると長岡藩主総勢約380名が会津に亡命する為、八十里越えを越え只見町に到着し新政府軍と激戦を交わしたとのこと。
今でも町内で新政府軍と戦った『長岡藩家老・河井継之助を語る会』が毎年行われているるとのこと。
驚いたのは町内には様々な官軍・長岡藩・会津藩の史跡があり、只見町が史跡の町であったこと。
今回の只見町巡業では会津戊辰戦争史の再勉強させて頂きました。
自治体等への営業中には様々な土地で色々なものを見たり聞いたり勉強させて頂きますが、これも営業職務の一環と認識してたりしておったりして、勝手ながら。
E.G